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おじさん、湖に浮く
禿頭のフローター釣行記
玉置 幸雄
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タックルとスタイルに惚れた
ソーッと湖面の水を手に取ってみる。水道水とは明らかに違う野生の感触が皮膚から伝わってくる。この水をねぐらにしている生き物の息吹みたいなものだ。まだ薄暗い山間に抱かれたダム湖。ゆっくりと、そして音を立てないように静かに入水。ロッドのガイドにラインを通し、その先にプラグを結ぶ。今日初めてのキャスト。シャーーーっとリールからラインがはき出されていく音と共に朝靄の中に消えていくプラグ。もうこの瞬間だけでも、魂は解き放たれていく。「カポッ、カポッ」。ラッキー13という名のヘドンプラグがバスをおびき寄せ始める。
いつものことだが、昨夜は眠れなかった。釣り前夜の不眠は僕の儀式みたいなものだが、そのボヤッとした意識を押さえ込み、ラインの先にある相棒に集中する。
ここで、「ガバッ」とバスがプラグをくわえ込む話になるのが、セオリーだが、申し訳ないが僕の場合、ラインは静かに巻き取られ、プラグの帰還となる。現実は、厳しいのである。
僕がフローターでのバスフィッシングにイカレてしまったのは、すでに頭髪が砂漠状態になりかけていた46歳の頃。でもバス釣りとの初対面は、それから約20年前、ふさふさの髪を風にたなびかせ、少しは女の子にもてた時代だった(自称)。
「へーえっ、かっこええじゃん、この釣り」と、思った。会社の先輩が、昼休みに屋上でキャスティングの練習をしていた時のことである。10mほど離れた缶カラの中にルアーを投げこむのである。初めて見るピストルのようなグリップの竿と小さくて丸いリールが頭の中にアドレナリンを噴射させた。タックルのデザインがなんともアメリカンでカッコいい。しかもルアーという疑似餌がおもちゃみたいでイカしている。その竿はfenwick(フェンウィック)と言うアメリカンブランドの竿であり、リールはAmbassadeur(アンバサダー)という、これはスウェーデンのABU(アブ)社製のベイトリールで、双方ともに当時のバスフィッシングのタックルとしては最上級の物だった。(もちろん今でも多くのファンを持っているが)
それまで、糸の先の浮きをじっと眺めているフナ釣りや11pmでやっていたあの服部名人の釣りなどが僕の釣りのイメージで、いづれにしても僕がのめり込む世界ではなかった。だが、この釣りは違う。浮き釣りのようなオヤジ臭さがない。タックルそのものがおしゃれな上に、ルアーをキャストし、小魚のように泳がせてバスに食いつかせると言う釣法もおもしろい。「楽しそうな事はとりあえず手を出す」という僕のミーハー心をヒットしたのは言うまでもない。
僕たち団塊の弟・妹世代は、とにかくアメリカ文化に弱かった。「パパは何でも知っている」「名犬ラッシー」「ローンレンジャー」「ララミー牧場」「ライフルマン」「うちのママは世界一」…・・。幼い頃、テレビに映し出されたのは、アメリカの夢のような豊かな暮らしだったのである。あんな大きな白い家に住みたい。あんな大きな犬を飼いたい。あんなジーンズを着てみたい。そんなあこがれが大学生・社会人になっても身に染みついていた。毎月欠かさず読んだ雑誌「ポパイ」は、そんな僕たちの急所にズバッと切り込んできたアメリカンライフスタイル紹介雑誌であった。自転車になんて全く興味のなかった僕が、マウンテンバイク(MTB)を一目見ただけで、飛びついたのも、その「アメリカンな世界観」に惹かれたためである。MTBもルアーフィッシング初体験と同時期だったから、これも20数年前のことになる。とにかく、目指すはアメリカ。ルアーフィッシングに僕が釣られたのも「バスを釣る」と言うことへの興味もさることながら、スタイルやタックルが「星条旗臭かった」からに他ならない。

「このルアーで本当に魚が釣れるんですか?」「これ、投げるのって難しいんですか?」「バスって、どんな魚?」「この竿、おいくら?」。やたら興味を持った僕に先輩は、「じゃー今度一緒にいくか?。もしその気があるなら道具も買った方がいい」とそそのかす。その日、仕事が終わるとそのまま渋谷のサンスイに同行。タックル1セットとルアーを数個、フィッシングブーツ・ベストを購入。月給とほぼ同額を使い果たしてしまった。もちろんロッドはFenwick、リールはAmbassadeurである。
その週の土曜日、ボートに乗った僕と先輩は津久井湖の湖上にいた。新調したベストにテンガロンハット、そしてフィッシングブーツ。手にはおろしたての舶来タックル。「おまえ、いっぱしのバス釣り師だな!」と先輩は笑う。
「あの安月給全部使い果たしましたからね。責任取ってくださいよ先輩。釣れなかったらボート沈めますよ!」
「まっ、釣りは運が半分だからな、おまえの日頃の行いを神様がどう評価するかだよ」
「であれば、爆釣間違いなし。ガハハハハ」
とにかく手こぎボートで湖にでること自体初めてである。美しい景色の中にス−とこぎ出すだけでもわくわくする。先輩はなにやら小さなスクリュウ付きの道具とバッテリーを持ってきている。20数年前、バス釣りがまだまだメジャーな釣りでなかった頃にエレキを持っていたのだからこの先輩ただ者ではなかったのかもしれない。今では、湖上でどんな会話をしたのか、どう教えを乞うたのか全く覚えていないが、風が強く操船するのが大変だったような気がする。見よう見まねでトップウォータ−プラグを岸際に投げるがなかなかうまくいかない。バックラッシュは当然のこと。木の枝にルアーをひっかけるのは当たり前のこと。で先輩にかなり迷惑をかけたと思う。
午後4時を回った頃だろうか。全く釣れる気配がないので一服。そして、なにげに先輩のキャストを眺めていた。オーバーハング奥の“おいしいポイント”にチャッポッと入ったとたん「バシャッ」と来た。先輩が急に真顔になる。ロッドがしなっている。なんだ、なんだ、事の内容が飲み込めない。
「今のあれ、ばしゃっと来たやつ、食ったんですか?」
「アホタレ!見りゃー解るだろ!」と、なんか余裕のない様子。
と、突然バスがジャンプ。魚体をしならせ首を振っている。
「オー!!元気いいじゃないの!」と満足げ。ロッドを上げたり下げたりのやりとりの末、湖面からあがってきたのは約25cmのバスだった。先輩は、手間のかかるビギナーを抱えながら面目を保つ1ゲット。僕は、とにかくドキドキしていた。初めて見るバスの魚体。しっかりとプラグをくわえ込んだその大きな口。
先輩は、ポケットからコンパクトカメラを出し、バスにメジャーを合わせ、ワンショット。
「おまえも写真撮るか?」
「いいんですか?」
「ほら、こうやって口に親指を差し入れて」
僕はバス独特の臭いを感じながら両手で持ち、レンズに差し出す。“あたかも僕が釣ったかのように見えるバスとのツーショット”が撮られた。そして先輩が静かにリリース。このとき、“キャッチ&リリース”なんて概念を全く知らなかった僕が、リリースすることに疑問や違和感を持たなかったのが不思議だ。むしろ、持ち帰って食べるなんて事は頭の片隅にもなかった。「なぜ逃がすんですか?」なんて事も聞かなかった。結局僕は当然のごとくボーズ。神様は僕の日頃の行いを評価しなかったみたいだ。だが、この日、神様が僕に人生のスパイスとして「釣り」を与えてくれた記念すべき日となったのである。
あの劇的なヒットシーンが、その後僕を津久井湖に通いまくらせる。あの「バシャッ」とくる瞬間を、ブラックバスという魚をもう一度見たくて、あのバス臭さをかぎたくて。次の週末も、その次の週末も、さらにその次の週末も。毎週土曜日、5週連続ボーズの記録はこうして作られた。暑い夏の津久井湖であった。

伝道師、現る
これは、ちょっと勉強せなあかんと思いルアーフィッシングの入門書を読みあさる。この時代、内容がバス釣りに限定した本というモノはまだまだ無く、「ルアーフィッシング」でくくられたモノが多かった。とにかく何の知識もなく、釣りを始めたのだから、見るモノ読むモノ全てが新鮮で、“ルアーで鱒も釣れる”ということもこの時初めて知った。
あの5週連続ボーズから1年後、僕は管理釣り場での鱒や渓流でのヤマメ、イワナをルアーで狙う川釣り師になっていた。この時まで、バス釣りを始めたはいいが、1尾も手にしていない。それに比べ、管釣りでは、いとも簡単に初鱒をゲット。当然と言えば当然だが、“初めてルアーで釣った”と言う感動が、僕の関心をバスから鱒へと移らせたのである。あの先輩とも、お互い会社を辞めてから疎遠となってしまい、釣りの対象魚としてバスが徐々に薄れていく。反面、鱒、とりわけヤマメへの関心が膨らんでいった。実は、ヤマメと名刺交換したのは子どもの頃で、その初対面の印象も強烈だったのである。
小学校3年生位の時だったと思うが、林間学校で秋川渓谷に行く。水中マスクをつけ流れの中を覗いていた目の前を3匹の、それは美しい魚が横切った。10cmクラスのハヤはふんだんにいたのだが、この魚は有に30cmを越えている。子供心が騒いだ。ドキドキした。魚が向かった藪の覆い被さった淵を探したがもうそこにはいなかった。「なんてきれいな魚なんだろう」。その日、陽が暮れるまでその魚を探したが見ることはできなかった。それがヤマメであると解ったのは、夏休みの終わった2学期の始め、魚類図鑑を見た時だった。今考えると、警戒心の強いヤマメがバシャバシャと子供が遊ぶ流れの中に来ること自体、奇跡である。しかも尾ビレもピンッとしていたことから、おそらくネイティブに違いない。ちょうど東京が、オリンピックの準備に大わらわだった頃、都心からたかだか1時間強で行ける渓流に野生の尺ヤマメが泳いでいたのである。
そんな少年の日の思い出が、僕を渓流へと向かわせた。沢を登る距離の分だけ歳が減り、子供に戻れるような気がしていた。
35歳を過ぎた頃であろうか、あるきっかけでフライへと転身。ここでも“面白そうなことは何でもやってみたくなる”ミ−ハーな性格がのぞく。これには教えを乞う師匠もなく、キャスティングからフライタイイングまですべて独学でやった。そのせいもあって、未だにダブルホールもままならない。毎年シーズン中は関東近辺の渓流に赴き、レインボーやヤマメと戯れ、シーズンオフは川解禁を待ちこがれフライをせっせと巻く。いつの間にかそんな44歳のおじさんになっていた。
ところが、ところがである。突然、僕をまたバス釣りに引きずり込む輩が現れた。彼は、僕が役員を務める広告制作会社に中途入社してきた青年デザイナーである。会社のデスクでフライを巻いていたら「釣り、やるんですか?」と聞いてきたのがこの青年。「僕もバス釣りするんですよ」と、あの5週連続ボーズも知らずに僕の古傷に塩をすり込んできた。
1998年初冬、時は空前のバスブーム。猫も杓子も、犬も桶も、大人も子供も、皮ジャンパンクも、河口湖の湖岸に1m間隔に並んで竿を振る時代である。「バス釣りってかっこいいし、ちょいと暇つぶしにやってみるか」なんていう“にわかバサー”を苦笑していた僕だったので青年もそのたぐいかと勘ぐった(その昔、自分もバス釣りの星条旗臭さに釣られたくせに。同類だろ!!)。良く聞くとその青年は小学生の頃からバス釣りにずっとはまっていたらしく、超ベテランである。ちょうど僕が5週連続ボーズをくらっていたときに、彼はバス釣りを始めていたということになる。
「バス釣り?僕を何歳だと思ってるの?このブームの中でおじさんが始める釣りじゃーないでしょ。魚よりも釣り人の方が多い釣りなんて、今更・・・・」と思っていた僕を青年のたった一言が揺さぶった。
「ある小さなダム湖でフローターフィッシングをすれば、二桁は確実、トップでもガンガンくる!!」と。
「ホントかよ。信じがたいな〜」
「行ってみますか?」
僕の頭の中では、バス釣りとは「静かな湖で、立木あり、岬あり、オーバーハングあり、流れ込みやリリーパッドありというまさにバス釣りの教本にイラストで出てくるようなフィールドでのんびりと楽しむ物」というイメージがあったが、そんな所は東京近郊にはほとんどない。しかもあるアイドルタレントや有名コピーライターがブームに火をつけてからと言う物、先にも述べたような「猫杓」状況で、いい大人のやる釣りではないと思っていたのである。ところが青年が熱く語るそのフローターとやらのおもしろさや気持ちよさ、さらにそのダム湖の自然やバスのデカさに半信半疑ながらも口の端しからヨダレがポトリ。すでに、僕はスタイルではなく釣りそのものの楽しさにはまっていたのだからタマラナイ。
フローターとは、海水浴の浮き輪の親分みたいな物で、真ん中の穴に座るためのシートが着いている。釣り人は、ハイチェストウェダーを着込んでその穴の中に座り込み、足にダイビングと同じようなフィンをつけ、プカプカと浮きながら釣る、と言う物。おかっぱりでは行けないようなポイントも楽に行ける。だからボート屋がないフィールドではとても有利だという。しかもマイボートとは比べものにならにくらいリーズナブル。だがフィンのキックで進むと言うところがひっかかる。
「でもね、僕にそんな体力があるかなー、小便も心配だぜ」
「大丈夫ですよ。フローターは元々アメリカのフライフィッシャーが作り出したもの。むこうではおじさんがガンガンやってるし。小便は岸にあがればすぐ出来るし、ま、大は野ぐそ覚悟ですけどね」
情けない話だが、近頃近くなった排泄行為も気になっていた。
青年の話では、このブームのおかげで釣れるバスフィールドが少なくなっているのは事実で、自分の“秘密の釣り場”を教え、同行しようと誘うのは特別なことなんだそうである。
その後、ダム湖のロケーションや釣ったバスの写真を駆使したプレゼンテーションを何回か受け、俄然やる気がわいてくる。ちょうど20年前と同じような高揚感を覚える。広告屋が広告屋に乗せられてしまったのである。
「今はもう寒くて、浮くのはきついですから、4月頃に行きましょう。それまでに、今のバス釣りを勉強してくださいね。専務がやっていた頃の“トップオンリー”という釣り方はもう化石みたいなもんですからねー。」
なにを、若造が、目にものを見せてやる。
かくして押入に眠っていたフェンウィックのグラスロッドとアンバサダー2500cを手に、フローターを抱えて、20年間の時空を越えたバスへのリベンジが始まろうとしていた。

アンバサダーファンの独り言

「やっぱルアーはトップでしょ、フライはドライだし」
青年は、トップにしか興味のない僕に
「おじさんに多いんですよね、こういうタイプは。トップにくるといっても条件がそろったときだけだから、トップがだめな時の対応術も身に付けましょう」とのたまう。
「とにかくトップ以外のルアーやスピニングタックルも必要ですよ。フローターと一緒に買ってしまいましょう」
と言う話になり、釣具店へ。またしても、財布の中に引田天功がいるかのようなお札消しイリュージョンである。
しかし、日本のタックルやルアーの進歩には目を見張るものがある。釣り具の高級品と言えば今やmade in japan。反対に、その昔高くて買えなかった外国製ルアーがワゴンセールされている時代である。
「えっ、スピニングリールもアブにするんですか?」
青年は、僕が手にしたカーディナルC3を見て“このおやじ、しょうがないな〜”という顔。
「悪いこと言いませんから、国産のD社製かS社製にした方がいいですよ。ベイトならアブで大賛成ですけど」
まだまだ「昔」を引きずっている僕には、「“釣具”ではなく“タックル”なんだからさ、ベイトだ、スピニングだ、に関係なく舶来モノでしょ!!」という単純な思いがあった。「精度的に国産が優れているので、ベイトもスピニングも日本製に」と言うのなら理解できるが、何故、彼はベイトはアブでいいと言うのか。やはり子どもの頃からバスっている青年はアブのアンバサダーには思い入れがあるらしい。小学生の小遣いでは、買いたくてもアブは買えずに国産であったに違いない。その憧れのリールがそう難しくなく手に入れられるようになったとき、オーナーとして強力なロイヤルティーを持つことになる。
かくいう僕も、もちろんアンバサダーファンである。しかも今時のモラムやイオンではなく、あくまでも2500Cを初めとする伝統的な型のリールに限る。何故か?。それはバス釣りを競技ではなく遊技として楽しんでいるからである。性能や機能だけで比べるなら今時の日本製に軍配が上がる。トーナメントのように、タックルを5セットも7セットもボートに積んで釣るのであれば、ルアー別にブレーキを微調整しておける日本製もあるのだろうが、所詮僕はプロでもないし、ただのアマチュアアングラーである。例えば、一般道路を走るのにF1マシンはいらない。それよりも、昔のビートルやミニクーパーなど、自分のセンスと合う独自の世界観を持ったクルマを選ぶだろう。“バス釣りを楽しむ”というのは僕にとっては遊びであり、そのイメージは古き良き時代ののんびりとしたバス釣り。そこに似合うのはやっぱりアンバサダーなのである。しかも、釣りをする上で、そう不都合を感じたことはない。確かには、日本製高級リールと比べると回転性能いまいち、メカニカルブレーキもピッチが荒く、大ざっぱ。でも、それが釣果に影響するかと言えば必ずしもそうではない。いまだにファンが多く、フィールドでもよく見かけることがそれを証明している。むしろ、アンバサダーの方が精度が甘い分だけ丈夫だし、回らない分だけバックラッシュなどのトラブルも少ないかもしれない。機構も単純だからメンテナンスも自分でできる。僕のようなアバウトな人間にはしっくりと来るのである。
もちろんアブのブランド力も侮れない。腕時計と言えばメイドインスイス。刃物はゾーリンゲン。ジーンズと言えばリーバイス。どの世界でもそれを代表する国、産地、ブランドという物がある。日本製がいくら機能的に、精度的にそのブランドを越えても、歴史や伝統に裏付けられたその魅力的な世界観やイメージを越えることは出来ない。時計の正確性で言えばクオーツや電波時計にかなうモノはない。にもかかわらず、スイス製の手巻き式、機械式の腕時計に根強い人気があるのも、そこに理由がある。アブ、特にアンバサダーは、ルアーフィシングを古くからやっている者にとっては、まさにそうしたブランドの一つといえる。アンバサダーというリール一つで1冊の本が出版されてしまうのだから、いかにファンが多いか伺える。
今や小学生でも3万円から5万円の日本製高級リールを使っていたりする。正直言うと、50歳のおじさんが、それと同じでは、ちょっと・・・と言う見栄もある。「君たち、おじさんはね、昨日今日バス釣り始めたんと違うのよ!。この古そうなリールを見れば解るでしょ。」なんてーことを臭わせたいのね。あ〜あ、言っちゃった。いままでの理屈が台無しでんな。
結局その時、僕は、fenwickのスピニングロッドとアブのC3を購入したが、C3は後にトラウト用に移行することになる。さて準備は万端、後は行くのみである。

'99年春。バス釣り、再び。
実は、青年にオルグされたもう一人の釣り人がいる。彼も会社の役員で、すでにバスはもとより鱒やシーバス、鮎までやるマルチフィッシャーマンである。メインはルアーで、忠類川までベイトタックルをもって鮭を釣りに行く、ちょっと開高健似の豪傑である。ただ、バス釣りではあまりいい思いをしたことがなさそうで、青年の言う夢のフローターフィッシングにコロリといってしまった(以後、こヤツの事を「開高似」とする)。彼も大枚のお金をはたいてフローターセットを準備。かの小さなダム湖への初釣行は計3人となった。
4月頭の土曜日いよいよ決行。早朝、現地についてさっそく支度。最初、青年が入水の手本を見せ、その後開高似、僕の順に浮く。
「ワウオー、何だ、この気持ちのいい浮遊感は」。
想像して欲しい。座り心地のいいロッキングチェアに身を置いている。そしてそのままプカプカと水に浮いているという状態を。人は胎児の頃、母胎の中で羊水に浮いていた。だから、水に浮いている状態ではとてもリラックスできるという。子供の頃、夏の海水浴で浮き輪に乗ったまま寝てしまったという想い出があるが、その気持ちよさに近い。
僕も開高似も乗り物としてのフローターがすっかり気に入ってしまった。はじめのうちは、なかなか思う方向に進んでくれないが、フィンの使い方になれてくるととてもおもしろい。こんな低い視線での釣りも初めてだし、手の届くところにルアーはもちろん仕掛け用の小物、弁当や飲み物、レインウエアーまで使う物すべてを積み込むことが出来る。あたかも、こたつの上にビールとつまみ、テレビのリモコン、たばこと灰皿があり、ゆったりとくつろぎながら好きな番組を楽しんでいるような物である。
とりあえず朝一はトップでしょ、と言うお約束でラッキー13(ヘドン製のダータープラグ)を投げ続ける。久々のルアータックル。当初は、釣っているというよりも、バックラッシュの修復と木に引っかけたルアーの回収の連続だったが、徐々に慣れてくる。ダム湖のロケーションはすばらしいの一言。シャロー、岬、馬の背、立木や流れ込みにオーバーハングなど、バスの居着きそうなポイントが、いたる所にある。あのバス釣り教本に出てくるイラストのポイントマップそのものという感じ。しかもフローターで苦にならない範囲内にあるのがうれしい。陽が山間から顔を出し始める頃まで夢中にトップを投げていたが、
「そろそろ、水面から水中に換えた方がいいですよ」と、遠くの方から青年の声。
「なんだよ、ガンガンくるんじゃねーの、話が違うじゃねーか」と、思いつつスピニングに持ち替え、教えられたばっかりのスプリットショットでワームを始めた。が、なかなか反応がない。いや、アタリはあったのかもしれないが、その頃の僕にはわからなかったのかもしれない。青年は、自分が引きずり込んだビギナーの面倒も見ず、軽快にバスを釣り上げていく。
「いいですか専務、グググググッとアタリがありますから、そうしたらテンションを張りながら少し送り込んであげてからあわせるんですよ」
と言いながら
「専務、ほら釣れましたよ。今日は、白がいいみたいですねー、専務もホワイトのワームにしてみたら」ときたもんだ。
「ちくしょう」と思いながらも白のワームに換える自分が悲しい。
ところで、こんな会話を端で聞いていたら「何だ、あいつら接待バス釣りか?」と思うかもしれない。接待バス釣りなんて、想像するだけでカッコ悪い。それが海のトローリングや海外釣行なら「ま〜、あり得るかもね」と思えるが、フローターじゃーちとつらい。このダム湖には、へら釣り師がかなりボートを出しているし、フローターも僕たちの他にポツポツといる。その後「専務」などの肩書きを付けて呼び合うのはやめようと決めたのは言うまでもない。
さて、昼飯も浮きながら終え、午後の部に突入したが未だボーズのまま。聞けば開高似も2匹上げている。頭の中にあの「5週連続ボーズ」の言葉が「ボーズ、ボーズ、ボーズ・・・・・・」とこだまする。ただ、釣れなくてもこのフローターに乗っているだけで楽しいのだから不思議だ。青年もさすがに僕に釣らせないとまずいと思ったのか、
「さっきアタリの多かったポイントがあるので行ってみませんか」と言う。
「そうだそうだ、責任をとれ」と、自分の技量のなさを棚に上げ、そのポイントに向かう。そこは、10m位の崖の下で、崩れ落ちた土や木の枝が水面から顔を出している。
「あのあたり、あそこですよ」と青年が言う、枝が張り出しているポイントに、スプリットショットを投げこむ。ところが案の定、ワームが枝に絡む。ポイントに近づきワームを回収。もうバスを蹴散らしてしまったかと思ったが、念のためもう1回キャスト。今度はいい所に入った。ロッドをちょっとあおり、ゆらゆらと泳がすと「グッグッグー」というアタリ。めいっぱい合わせると、ラインが一気にピーンと張り、ティップをグイグイお辞儀させていく。「やったぜい!」と思ったのもつかの間、急にラインのテンショがゆるむ。何事も経験がないと言うのはハンデである。初めてのヒットで焦ってしまい力まかせにリールを巻いてしまった結果のラインブレイク。
「専務、あわてちゃだめですよ」
僕の悪戦苦闘を後ろで見守っていた青年がニヤニヤしながら言う。ラインをたぐり寄せるとフックの結び目がほどけている。「畜生!!」もうこうなったら意地である。同じポイントを何度も攻める。しばらく反応がなかったもののまたアタリが出だした。「まだいける」。その確信が執念となる。その後、根がかりを数回、痛恨のバラシをもう一回。そんなことをやっているうちに、青年も開高似も後ろから姿を消した。
「ま、いっか、本来釣り人とは孤独なもの」
とにかくここが正念場と思い、ワームをサイズダウン。全身の気をロッドに集中し、再キャスト。ところがまたもや枝に引っかかる。
「もういい加減にせーよ」と嘆いてもしょうがない。バスが居着くいいポイントとは、得てしてこうした障害物のあるところ。ラインを巻くと、運良くスルリとほどけポチャンと水面へ。ゆらゆらとワームがフォールしていく。と、そこへ下からバスが飛び出した。それが完全に見えている。合わせる間もなくラインが一直線に引っ張られる。
「今度こそバラすものか」と慎重にやりとりし、やっとの事でバスを手元に引き寄せる。さぁ、あの夢にまで見たシーンである。バスの口に親指を入れてのランディング。ちくちくとしたバスの歯を感じながらまじまじと眺める。体長約35cm。よく見ると、さっきばらしたときのフックが口の中に2本刺さっている。何という懲りない魚だ。でも君は偉い。少なくとも僕にとっては、初バスというこの世でたった1匹のバスである。粘りに粘った勝利。遠くの方で自分の釣りをしていた青年と開高似に声をかけ、バスを高々と天空に差し上げる。青年は、握った拳から親指を立て「やったね」という顔をしている。開高似は、にこにこ顔。後で聞いた話だが、同じポイントを執拗に攻める僕の姿を見て「専務に1匹釣れないと今日は帰れないぞ」と、身の危険を感じていたらしい。とにかくワームとはいえバスへのリベンジは達成されたのである。もう日も暮れかかっていた。一つの念願を達成したおじさんの背中に赤い夕日が優しく微笑みかけるのであった。

バス釣りバブル時代
月曜日、当然のように3人のバス談義が花を咲かせる。青年は言う「4月とはいえ、まだ水温が低かったからあの程度だったが、これから夏に向かって暖かくなるとトップでもガンガン来ますよ」と。そこに3人目のカモが登場。現在のバス仲間の4人目である。彼もやはり、あのダム湖でのフローターフィッシングの話に大金をつぎ込むことになる。しかも今度は、セールスマンが3人である。少しでも釣り経験のある者ならひとたまりもない。この男、実は釣りを初めてまだ1年もたっていないビギナーだが、一応バスはもとより、ハゼ、アジ、メジナ、管理釣り場の鱒などに手を出している46歳のオヤジである。バスルアーでは、コアなファンしか手を出さないオルカイザーなどのおもちゃメーカールアーが好きというあまり見かけないタイプ。とにかく人と違った独自の道を歩きたがる癖がある。そうすることが個性だと勘違いしているフシもある。次は俺も行くと言って買ってきたのがフローターではなくゴムボートだったというのも彼らしい(以後、こヤツのことを「オルカイザーおやじ」とする)。
さて、僕は1日でも早く2回目の釣行をしたかったが4人の都合がどうにも合わない。いつの間にかゴールデンウィークも過ぎ、梅雨入りの声を聞こうとしていた。その間、週末の釣具屋巡り、特にフライコーナーには目もくれずバスコーナーをのぞくことが僕の習慣になっていた。そのおかげで、カーボンベイトロッド、アンバサダー1500C IARを買ってしまうことになる。またポップXやドックXのようなレアな人気ルアーも手に入れた。この頃、よくこうした品薄のルアーを抱き合わせ販売やプレミア価格で販売しているショップを見かけた。今考えると「バス釣りバブル時代」である。これは、少なからずメーカーにも責任があったと思う(独禁法上、メーカーが小売店に対して売価の指導や強制が出来ないにしてもだ)。人気があるということにあぐらをかいているメーカーがあることも確かだった。あるバス釣り雑誌で「読者がメーカーに聞く」というコーナーがあった。少年の「どこに行ったらそのメーカーのルアーは買えるの?」という質問に「関東地区はOO営業所から、関西地区はOO営業所から各販売店に出荷しています」という回答。おんどれの頭は、バルサで出来とるんか?。客をなめとんのか!!。少年は、どのショップに行ってもそのルアーが見あたらない、売っていないので聞いているんであって、流通経路を聞いているのではない。そんなことは、誰だって分かる。心あるメーカーなら、売っている店の提示、それが出来なければ、品薄の理由、講じている対応策、そしてなによりも謝罪の言葉が出てくるだろう。他の人気ルアーメーカーのM社やL社、Z社は、同じような質問にちゃんとした責任ある回答をしていた。僕は、この記事を読んだ後、このバルサ頭メーカーの製品は一切買わないことに決めた。
反対に、こうした少年達に救いの手をさしのべるショップがある。武蔵小山、淡路町、新橋に店を構えるルアー・フライショップ「G」。この店では、入手困難な人気ルアーでも入荷するとすべて定価で販売する。しかも客寄せのための入荷予告もしないし、客を並ばせて整理券を配るようなこともしない。さらにこの店の偉いところは、中古品コーナーもあり、どんなに品薄のルアーでも、レアなタックルでも定価の半額程度で買える。もちろん、新品も中古も人気商品は入荷も少なく、あればすぐ売れるのでいつも買えるわけではないが、普通の中古ルアーなら常時100〜300個程度は見ることが出来る。ルアーなどは、中古で十分である。この頃になると僕は、青年の影響で、この店の中古コーナーから、人気ルアーをさっと取るくらいの目利きになってしまった。本当のことを言えば、人気ルアーだから釣れるとは限らないし、安いルアーでも釣れるときは釣れる。入手困難だからと言う理由だけで欲しがること自体がおかしいのだが。とにかくお小遣いで買わなくてはならない子供たちにはうれしい店と言えることは確かだ。

「1日二桁、トップにも」が現実に
さて、話を元に戻すと、やっとの事で2回目の釣行日が決まった。6月中旬の土曜日。ところが僕が仕事で行けなくなってしまった。あの3人がそんなことで中止するわけがない。それぞれ家庭を持つ身、行けるときに行かないと、というのは僕も同じ。笑顔で送り出してあげるのが大人というものである。だがどうしても収まらない。彼らが出かけた日は、仕事をしていても落ち着かない。たった1回のフローター体験が、僕をバス中毒にしてしまったのである。「お客さん、上物あるよ!純度99.99%の“仕事も家族も忘れていい1日券”。どうよ?」と売人に声を掛けられたら、即買いの状況である。
翌日の日曜日、はっと気づいたらダム湖に向かう車の中に僕はいた。1人でフローターをやるのは危険だと思ったが、いざとなったら、へら釣りのおじさんも他のフローターもいる。遠くの親戚より近くの他人である。ま、いっか、と言うことで一人釣行を決行(よい子はまねしないよーに)してしまったのである。前回は、青年のオデッセイに乗せていってもらったので、高速を降りてからの道順がうる覚えであったが、なんとか現地に到着。まだ薄暗いが、ちょっと怪しい雲行きだ。ここまで来たのだ、少々の雨でやめるわけにはいかない。さっそくフローターに空気を入れ、ポケットにルアー、仕掛け用の小物などをいれ、タックルもセッティング。ウエダーをはき終えたところでポツポツと雨。そのうちザーッと本降りになってしまった。これは少々の雨ではない。道は、雨が地面に落ちて作る水の王冠だらけで、あっと言う間に川状態。いわないこっちゃない。妻を不機嫌にまでして出てきたバチである。とにかく車の中で様子を見ることにした。
しばらくして雨足が少し弱まったが、僕の感覚ではまだ車を出る気がしない。ところが、僕より先に来ていたワゴンから4人ほど元気よく飛び出し、フローターを担いで行くではないか。朝一番、誰よりも先に釣り場につき、誰よりも先に糸を垂れる。これは釣り人みんなの願いである。こうしてはいられない。レインウェアを着込み、すぐに湖面に浮く。先ほどの4人とは入水地点が違うらしく、見あたらない。周りには誰もいなく、僕1人である。「しめた」。人の気配がない方が釣れるに決まっている。だけど、バスが釣れたときに周りに人がいないというのも自己顕示欲が満たされない。まだまだ人間が出来ていないおじさんである。雨は少しづつ勢いが弱まっている。とりあえず、いつものラッキー13から投げ込む。2回目ということもあって、キャスティングも調子いい。シャロー、馬の背を攻めるが反応なし。1時間ぐらいたったであろうか、いつの間にか雨もやみ、雲の合間から日が射してきた。「うーん、トップはまだダメかな」と思ったが、競う相手もなし、好きなルアーで粘ることにした。もし、ここにあの3人がいたらおそらくワームを結んでいたであろう。この、釣果を気にしない余裕の気持ちが、その日を生涯忘れられない1日にする。
ちょうど立ち木エリアにさしかかったとき、「バシャッ」という音と波紋。ここにはいるぞと、顔がニヤつく。すかさず波紋に向かってキャスト。何秒かポーズを取ってロッド操作でアクションさせる。が、出ない。ルアーが、ポイントからはずれたのでラインを早巻きし、回収にはいった。と、その時、ただ引っ張られているルアー目掛けて「バシャッ、ゴボッ」ときた。「えっ、何だよ、ここでくるわけ?」。ヒットしなかったとはいえ、心臓はバクバクである。すぐに再キャストしなければ、と思ったがフックにラインが絡んでいる。こういう時に限ってそういうもの。だがあわててはいけない。気を鎮め、もう一度、より慎重に投げ込む。今度は、着水と同時に来た。ルアー近くの水面が盛り上がったと思った一瞬、ルアーが消えた。「よっしゃー」一気に合わせるとラインの先に生命体をビンビン感じる。ところが、リールを巻いても巻いても魚が寄らない。「あれっ」しまった、ドラグが甘い。なんとかラインテンションを張りながらドラグを絞める。とにかく、慌てながらも、ぎこちなく、トップウォーターでの第1号バスをゲット。約30cmと、サイズはそれほどでもないが僕にとっては貴重な1匹である。胸の高まりがしばらく収まらない。うれしさが徐々にこみ上げてくる。周りを見渡すと、遠くの方にへら師が1人のみ。「何でここにあの3人がいないの?」と、まだ未熟なことを思うおじさんであった。
その後、時折雨がぱらつく中、昼までにザラやサミーなどトップで3匹を手にする。この雨も幸いしたのだろうか、絶好調である。しかし、さすがに昼飯後はトップに来ない。そこで、その日まで毛嫌いしていたスピナーベイトを使うことにした。「このルアーは、パイロットルアーとして実績があるんですよ」という青年の話を思い出したからである。その形から、どうも釣れる気がしなかったのだが、これが使ってみるとポンポン釣れる。立ち木エリアでも、オーバーハング下でも。果ては、20cmほどの超浅場でも着水と同時にヒット。ウハウハである。ワームなんて使う暇がない。そうこうしているうちに、あの前回の初バスヒットのポイントが近づいてきた。やはりここはワームかな、と思いスピニングタックルに持ち替える。勢いとは怖い物である。そのポイントと周辺で4匹を連続ヒット。もうイケイケブンブン。時計を見ると、3時をすぎている。やばい、「陽のあるうちに帰る」と、妻に言い残してきているのを思い出した。でも釣ったバスは1匹残らず写真を撮っているし、いいかとあきらめ、戻ることにした。
入水地点に近づくと、もうこれが最後の一投と心に決め、キャスト。このエリアは、みんなが入水する地点とあって、バスの気配を感じない所である。でももしかして、と言うスケベ心が当たった。スピナーベイトをゆっくり引いてくると、グンッと重くなった。もうやりとりは慣れたものと思ったのだが、これまでと引きが違う。と言うより、動かない。「おやっ、根ががりかなー」とラインをゆるめた瞬間、一気に走られた。ドラグがジィジィ唸ってラインが出ていく。「50アップもいますよ」という青年の言葉がよぎった。よし必ずあげてやると勢い勇むが、ラインは巻いては出ていくの繰り返し。僕の方からラインの行く手にこぎ出す始末。しかも後ろ向きに(フローターは前方向にはこぎにくい)。やっとの事で、バスが浮いてきた。デカい!。水面に出てきてもまだバシャバシャ暴れていて口に親指を入れるのもままならない。バスの頭を水面下に落として指を入れるとあっさりランディングに成功。しかし重い。これは、ちゃんとサイズを測らねばと思い、フローターのエプロンに印刷されたメジャーにバスを置く。尾ビレを0に合わせると頭は17インチを指している。50には届かないが約44cmである。湖の女神は、最後の最後にBigなプレゼントをくれた。とにかく、この44cmは、3人に見せなくてはとメジャーの上のバスをカメラに収める。ところが、広角のないコンパクトカメラだったためバスのからだ全体がレンズに収まらない。どうやってもフローターの上では無理である。しかたないので、17インチの数字が分かるように頭の方を撮る。これが、後に物議を呼ぶとはその時知る由もなかった。
結局釣果は全部で14匹、とにかくご機嫌である。岸に上がる前、ボートで近づいてきたへら師のおっさんから「あんちゃん、ブラック釣れたかね」と聞かれ、あんたに「あんちゃん」と呼ばれるような歳じゃねーやと思いつつ、元気に「釣れましたよ」と返事をするおじさんであった。

「44cm」を認めない3人
釣り人とは、釣った魚の数よりも大きさにこだわる。ヒットした魚が大きいか、小さいかは多分に運が左右する。だからこそ、そこにロマンが生まれる、伝説が語り継がれる。「逃した魚は大きい」といい、かの開高健も「釣り人の両手を広げて示す大きさは、信じてはならない」と言っている。その時の状況は、まさにそうだった。
月曜日、あの3人がバス談義をしているところへ、釣った魚の写真をバンッと披露し、割り込む。
「1人で行ったんですか、元気ですねー。それにしてもやったじゃないですか。ハードルアーでこんなに釣るなんて」
聞けば、彼らもそこそこ釣れたが二桁はいっていないらしい。しばらくは、僕の偉業をたたえてくれていた。ところが1枚の写真が彼らの言葉を止めた。
「これって本当ですか、ほらこの17インチの写真」
「当たり前だろう、17インチだから44cmってとこかな、どうだすごいだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」と3人。
最初に口火を切ったのはオルカイザーおやじ。
「でも頭の部分だけじゃねー」
うーん、やっぱりそう来たか。僕は、バスの全体像を撮れなかった状況を説明するが、それはそれ。彼らにとって大事なのはその写真が44cmを証明するかどうかである。答えは当然「NO」。
青年は、写真の上に定規を置き、バスの口からえら蓋の端までのインチ数をしきりに計っている。
「この写真だと、えら蓋までが約15cmあって、通常バスの体はその3倍と言うから本当かもね。」
「そうだろー」
「でも、フローターについているメジャーはいい加減だって言うし・・・・・・」
「そんなことあるもんか」
あーでもない、こーでもないと審査は続くが多勢に無勢である。しかも釣りに関しては、上司も部下もない。そこへ、写真を見て一言「却下」と言い残し、立ち去る男がいた。グレ師の社長である。あたかも裁判長の審判が下ったかのように、3人とも拍手。この場では一旦、3人の勝訴に終わった。
その夜、僕はフローターのメジャーが正確かどうか確認したのは言うまでもない。

へし折られた天狗の鼻
その後、梅雨から秋口にかけ何度か釣行するが、4人一緒に行けるというケースは少なかった。回を重ねるうちに、オルカイザーおやじもメキメキと腕を上げ、ある時は青年や開高似を脅かす数を釣り上げているという。手垢の付いていないフィールドのおかげとはいえ、アベレージサイズ35cmのバスをあれだけ釣れるのだから天狗になっても仕方がない。僕は「バスプロと呼んでくれ」と言ってしまうし、オルカイザーおやじなどは「俺をバーニーと呼んでくれ」とまで言うから恐ろしい(バーニーとは、米国トップバスプロ)。経験のない奴ほど舞い上がるものである。
とにかく、あの青年の「夢のフローターフィッシング」の話が出た時、速攻バイトしていて正解だった。思えば、このシーズン中、1度もフライでのトラウトに出掛けていない。川もすっかり禁漁期に入ってしまった頃、いつものようにダム湖釣行の話が挙がる。が、例によって4人の都合がつかない。3人ならいいのだが、2人になると中止というのが何となく決まり事になっていた。青年も「今頃、フォールターンオーバーですからね、状況はイマイチだと思いますよ」と言う。結局行くことになったのが、ターンオーバーも終わって落ちついただろうと思われる11月下旬となった。ただ、オルカイザーおやじは、子供の学芸会とやらでパス。僕と青年と開高似の3人の釣行である。
この季節、日の出は6時頃だというのに、5時には現地に着いてしまった。車から出ると、結構寒い。水に手を入れるとこれもひやっと冷たい。「フローターでの釣りは、もう今日が今シーズン最後かもね」と青年は言う。僕もこの老体であまり過酷な釣りはしたくない。
「よし、有終の美を飾ってやる」と意気込む。なにやら青年が、「この時期はダムサイトエリアの方が釣れる、という情報を入手。いつもとは違った地点から入水。トップは開高似。この男、とにかく何をやるにもせっかちで、しゃべる、書く、食う、運転する、釣りの支度をするなど全てがクイックである。短気な方が釣りに向いているというから大物釣り師になるかもしれない。反面、せっかちなゆえにリールを忘れてしまったり、なんてこともある。会話をしていても、言葉を省エネしてしまうから、何事も簡単な返事しか帰ってこない。困る時もあるが、それが結構男っぽく見える時もある。「男は黙って何とやら」。ところが、これが一旦酒が入るとべらべらとしゃべり出すから不思議だ。反対に青年は、言葉が多い。釣り雑誌などは広告も含め活字の一切を読み尽くす。頭の中は釣りの理論や最新タックル・ルアーの情報が渦を巻いており、しゃべり出すと止まらない。だから、彼の言うことは、一応聞く価値がある。しかし「あの時釣れなかったのは、こうだったからだ」とか「あそこではこうだからこのルアーを使うべきだったんだ」あるいは「この時期は実はこのエリアを攻めるのが正解だったんだ」というような、事後の分析と裏付けが多い。行く前に判れよなといいたい時もあるが、大筋においてはバス釣りの師匠である。といっても一回り年下なので浜ちゃんとスーさんの関係とも言える。もちろんバス釣りに限っての話だが。とにかく、この4人のバス仲間は、一人一人が強烈な個性を持っていておもしろい。ま、釣り初めについては我先にと思うのは開高似だけでなく皆同じだが。
さて、入水したところはダムサイトとあってディープエリアである。僕はこのディープがどうも苦手で釣れた試しがない、つまり釣れる気がしないのである。ここはやはり青年の教えを乞う。
「この時期はベイトフィッシュを追っかけているから、ミノーやシャッド系を使うのがセオリー」という彼の言葉通りのルアーを選びスタートを切る。初めのうちは、誰が最初に1匹釣るかが問題。釣った奴は、それでほっとひと安心し、余裕の釣りが始められる。逆に先を越された奴は、「おっ、いいカタ釣ったジャン」とか言いながらも焦っている。心中は穏やかではない。だから、いつも釣り初めは、みんな黙々と自分の釣りをしている。よく「バス釣りは人と競う物ではなく、魚とゲームを楽しむのが本道」なんてカッコをつけるアングラーがおられるが、それはよほどのお方である。遊びとはいえ、やはり仲間がいれば勝ちたくなる。そこに感情が動く。性格が出る。だからおもしろいとも言える。それが人情である。あの爆釣の日のように、無欲がいい結果をもたらすときもあるが、それはたまたま仲間がいなかったからである。
釣り初めから10投目ぐらいだろうか、ジャークを入れて巻いていたラインが重くなる。だがいつものグンッとくるはっきりとしたアタリではなく、ヌメーとした重さである。とりあえずあわせをくれてやると、「ぐっぐっぐっ」というバスの確かな引き。
「やりー」2人を出し抜いた本日の初ヒット。何がうれしいかって、仲間に先行した1匹に勝る物はない。ところがこのバス、フッキングした後の元気のいいこと。体操の競技会だったら文句なしの10点満点の月面宙返りジャンプを決める。ラインを巻くと悲しくも戻ってきたのはルアーのみ。それを見ていた開高似はいかにもうれしそうにニヤッ。まーいいか、朝一からこれだったら今日は期待がもてる。と思っていたが、実は、このヒットがこの日、最初で最後のバスとの対面だったのである。
その後、何をやってもあたりがない。他の二人も同じで、昼近くまで3人ともボーズ。今までこんな経験は、このダム湖ではほとんどなかった。「やっぱり、もう厳しい時期に入っているのかなー」というと、青年は「今年は暖かいからターンオーバーが遅れていて、ちょうど今みたいですね」という。とにかく3人とも必死である。いつもなら、どこにいても見渡せば他の2人が見えるという状況のまま3人一緒にポイントを変わっていくのだが、こうなると3人の行動がバラバラになる。「おやっ」と思って前後左右を見ても2人が見えない。入り組んだ形のダム湖だから、ちょっとしたワンドに入られるともう見えない。釣れないは、1人ぽっちはで、集中力を欠いてしまった。とりあえず、腹も減ってきたので、浮きながらコンビニのおにぎりをほおばる。突然眠くなる。
僕には、変な癖というか、困った習性があって、釣行の前の晩は必ずと言っていいほど眠れない。遠足の前の晩の小学生みたいだが、大人になっても釣りに限っては直らない。もともと寝付きの悪い方で、早くからベッドに潜り込んでも眠れない。そのうち次の日の釣りの事をあーでもないこーでもないと考えてしまうからなおさら頭がさえてしまう。気がつくと、もう家を出る時間になっているというケースが多い。朝早く起きなければならないというプレッシャーも原因。もちろんそんなことは、妻も分かっているから、現地集合の釣りの場合、1人で運転するので、心配らしい。
この日も例によって一睡もせずに来ていた。よし、寝ちゃおーと思い、フローターと立ち木をひもで結び、そのまま浮きながら眠る。以前にも何回か同じことをやったが、あたかもゆりかごの中のようで何とも気持ちよく眠れるのである。ふと、気がつくと1時間くらいたっていた。何やら体がズシーンとだるい。喉も痛い。言わずとしれた、風邪の症状。「やばい、季節を考えずに寝てしまった」。ウエダーをはいてるとはいえ、腰から下は水の中。夏ならともかく、今は初冬である。「まいったな」と思ったところへ青年がやってくる。
「どうですか、釣れました?」
「いやー、だめ、釣れないから寝ちゃったよ。そっちは?」
「やっと1匹、スピナーベイトで」
「へー、やったじゃん」
青年は、ひとしきり釣れたときの状況を話す。その後、開高似の行った方へ釣りながら向かおうということになり、立ち木に結んでいたひもをほどく。僕は、少し頭が朦朧としてきたが、青年には言わないでいた。「じゃー、帰りましょう」と言うことになるのが、悪いと思ったからである。しかしその後の釣りは、ほとんど集中力に欠け、釣りにならない。そのうち、開高似と合流。彼も1匹釣ったという。
「えっ、そっちもスピナーベイトで?、こっちもだよ」
「大きさは?」
「小さい、30cm位かな」
「今日は、渋い上にサイズもイマイチだよね」
なにやらボーズ逃れ組は、楽しそうに話している。いつもだったら、負けるもんかとファイトを燃やすのだが、この時ばかりは釣果はどうでもいい状況になっていた。
「ちょっと風邪をひいたみたいなんで、俺、先にあがるわ」と切り出す。「車で寝ているから、君たちはまだ釣っていていいよ」と言ったが、2人ともあがるという。時計を見ると2時を回っていた。
「じゃー、釣りながら戻っておいでよ、俺、先に車に戻ってる」と言葉を残し、入水地点に向かう。その入水地点までの距離をこんなに遠く感じたことはない。車についた時にはもうヘロヘロである。
このダム湖での釣りで、初めてのボーズ。風邪をひいてしまったということもあるが、あの天まで伸びた天狗の鼻を簡単にへし折られたのである。

何が魚の敵なのか?
釣果1匹と10匹は、そんなに大差はない。しかし、0匹と1匹は、1匹の違いなのに天と地の差がある。それは釣った人、釣れなかった人という差別を受けることになる。
青年は「僕の知っている限りでは、あのダム湖でボーズをくっらたのは、弟と専務だけですね」と言いやがる。その弟は、事もあろうか2月に浮いたらしい。じゃあ、しょうがないかという事になる。僕の場合も、風邪が言い訳になるかと言うと、世の中そう、甘くはない。ただ、2人とも、僕に気を使ってか、自分たちも満足できなかったのか、あまりその日のことを話題に出さないので助かっている。
思い起こせば、フライをやっていた頃は、ボーズなんてそう珍しい事ではなかった。(ぼくだけかな?)渓流では、ゴールデンウィークを過ぎると、魚影をほとんど見なくなる。頻繁に放流している、あるいは上流に管理釣り場があってオチ魚がいるところは別だが、そうでない限り、餌釣り師が魚を根こそぎ持って帰ってしまうため、釣るのがなかなか難しい。ルアーやフライでは、キャッチ&リリース(以下、C&R)がもう当たり前のようになっているが、餌釣りだけが治外法権のような感がある。釣った魚を殺し、食べる。自然に感謝し、食べることでその魚の魂は成仏する。その肉は食べた者の肉となり、生命を維持する。それは日本の伝統的な渓流釣りの姿なのだから、文句を言うことはできない。ただ一点、キャッチ&イートは放流魚で成り立っている渓流だけにして欲しい。もし野生が棲んでいる、あるいは繁殖が可能な所があれば、そこは全期全面禁漁にすべきである。または、欧米のようにしっかりとした管理のもとに遊漁人数やキープ数に制限を持たせるべきだろう。
僕たちルアーやフライの釣り人は、魚を残したいが故にC&Rをするが、そのような末端の努力をかき消すかのような、水質汚染が進んでいるのも事実である。ダムの建設や護岸・堰堤工事、森林伐採、あるいは農薬、工場排水、リゾート施設の建設など、魚が住めないようにしている大きな要因は枚挙にいとまがない。以前、僕がフライのフィールドとして通っていた秋川の川虫(カゲロウ、カワゲラ等)は、激減している。それに伴ってヤマメも減少。桂川などでは、釣ったマスが奇形だったなんて体験も1度や2度ではない。そうした汚染問題をどうにかしなければ、日本の全ての渓流で泳いでいるのは放流魚、しかも奇形なんて状況になりかねない。
少なくとも野生種が棲む地域だけでも守りたい。
いま、日本の中で世界自然遺産に指定されているのは、屋久島と白神山地の2ヶ所のみと言うのをご存じだろうか。白神山地がなぜ指定されているのか。その理由は広大な山野に自然のまま残されているブナ林にある。ブナは、その葉を落とすと積み重ねていき、厚い落ち葉の層を作る。それは、やがてスポンジ状の腐葉土となる。そこは多様な昆虫や小動物のねぐらとなる。もちろんブナの幹にも野鳥などが巣を作る。白神山地の生物たちにとってブナは、なくてはならない母なる木なのである。そして腐葉土はその地に降った雨をためる。ブナ1本で約8トンの保水力があるという。その緑のダムにためられた雨水は、腐葉土によって不純物が取り除かれ、逆に豊富なミネラルを含んでいき、徐々に流れ出し、やがて渓流を作っていく。このブナのおかげで、大雨が降っても、渓流の水は濁ることはない。この地の渓魚が野生のまま子孫を残し続けていけるのも、綺麗な水を作り出してくれるブナのおかげなのである。さらに、ミネラル豊富な川の水は、湖や海へと流れ込み、水草や海藻を育てる。そこはやはり、魚たちの棲み家となるのである。
山、川、湖、海。そうした自然の中の生命を支えているのは実は、「ブナ林」はじめとする森なのである。一見、山とは関係のない海の漁師さんが、植林活動をしているのもそこに理由がある。幸い、世界自然遺産に指定されてから白神山地の中心部は、人は立ち入れなくなっている。僕は、人の生活を無視した、頑固な完全自然主義者ではないが、今まだ残されている、そうした自然の営みを大切に守らなければならないと思う。
ちょっとバスから離れ、渓流についてマジな話をしてしまったが、この「自然を守る」と言うことは何もバスと全く関係のない話ではない。ここ4〜5年で急浮上してきた「バス害魚論」。
このところ、C&R禁止条例を施行する県などが出てきており、バス釣り界は激動の時代を迎えている。その事実関係や学術的な知識・情報を持たれる見識のある方々が多くいらっしゃるので、詳細は、そうした方々にお任せしたいが、環境汚染と言う観点から、ここで簡単に触れておきたい。
「ブラックバスがメダカを食う」という衝撃的なタイトルの本が出版された。著者は、バスが在来魚を食い尽くすとし、バスの全面駆除、バス釣り禁止を主張する。この本がバス害魚論の流布に拍車を掛けたのは言うまでもない。だが、ちょっと待って欲しい。バスは、魚食魚だからメダカがいればそれは食うかもしれないが、バスがメダカ減少の大きな要因なのだろうか。先にも述べたが、水質汚染・悪化が進行している日本のフィールドでバスだけが悪者にされるのには納得がいかない。かりに、バスがいなくともメダカは減少しているに違いない。イヤ、むしろ、そうした環境汚染の方がはるかに重大な問題では無かろうか。近頃、その“バスでさえ減少している”という状況を知れば、バスと環境汚染、どちらの影響力が大きいかは、自ずと解る。
以下、開高建「私の釣魚大全」から引用した。

確かトルストイの短編だったと思う。魚釣りに川へ行ったところ、1人の老人があらわれ、何を釣っても横から「昔はもっと大きいのがいた」「昔はもっと川が魚でいっぱいだった」と言う不満をさんざんならべてから森へ消えたという話。どうやら森の神様であったらしいと見当が付くように書かれていたとおもう。これを現代日本に当てはめるとどうなるか。「昔はもっと大きかった」と言おうにも、どだいその魚そのものがいないので、手の広げようもないと言う事態に立ち入っている。
北海道から徳之島まで釣り歩いてみたが、至る所で聞かされるのは魚が激減したという声であった。〜中略〜 機械化と工業化とガミガミ女房にたまりかねて私たちは日曜日の早朝、家を逃げ出しにかかるのだが、さて釣り場についてみると海も川の廃墟である。


これが執筆されたのは1968年である。30数年以上前から、魚は減っているのである。ここで言われている“海も川も廃墟”の主原因がバスだとはとても思えない。
もちろん、琵琶湖のような大きな湖と小さな野池を一緒くたに考えることは出来ない。ただ、あまりにもバスだけに責任を押しつけることでバスだけに人の目が、社会の関心が向いてしまうことに危惧を覚える。いま、この大和の国の貴重な命を守るために僕たちが真っ先に取り組まなければならない問題は何なのか。まさに“木を見て森を見ない”怖さを僕たちは知るべきだろう。
バス問題は、様々な要素を含んでおり、それを網羅しようとすると分厚い本1冊になってしまう。勉強不足であり、つたない情報しか持たない僕が、何を言っても説得力を持たない。ただ、このフローター釣行記もこれから先、様々な人との出会いが出てくる。その中には、このバス問題に真剣に取り組んでいる方々もおられる。その方々の登場と合わせて、徐々に語らせていただくことにする。



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